ロシア・ノーボスチ通信社
Russian Information Agency «Novosti» (RIAN)
ロシア・ノーボスチ通信社―Russian Information Agency "Novosti" (RIAN)がその歴史の幕を開けたのは1941年6月24日のことであった。このときソビエト社会主義共和国連邦人民委員評議会および全ソビエト共産党(ボリシェビキ)中央委員会付属ソビエト情報局(ソフインフォルム・ビューロー)が設立された。
同ソフインフォルム・ビューローの目的は、国際ニュース、軍事ニュース、および国内ニュースの定期刊行物ならびにラジオ放送による報道を監督することにあった(1941年10月14日から1942年3月3日までの期間、同ビューローはクィブシェフ市にその本拠を置いていた)。
当時、同ビューローの主な業務としては、前線での戦況、後方支援の状況、さらにはパルチザン活動の状況について、ラジオ放送および新聞、雑誌向けに情報を取りまとめることにあった。
ソフインフォルム・ビューローは、全スラブ委員会、反ファシズム・ソビエト女性委員会、反ファシズム・ソビエト青年委員会、反ファシズム・ソビエト研究者委員会、反ファシズム・ユダヤ人委員会の活動についても監督を行なっていた。
1944年、ソフインフォルム・ビューロー内部に、外国向けプロパガンダ活動を専門とする特殊ビューローが設置された。世界23カ国における新聞1171紙、雑誌523誌、18のラジオ局、その他に各国のソビエト大使館、友好協会、労働組合、女性運動団体、青年運動団体、ならびに学術研究者団体を介して、ソフインフォルム・ビューローはソビエト国民による反ファシズム闘争に関する情報を伝え、また戦後は、ソビエト連邦の国内政策および対外政策を主体とした、さまざまな情報を海外に伝えていた。
1961年、ソフインフォルム・ビューローを基盤にしてノーボスチ通信社―Agency of Press "Novosti" (APN)が設立され、それ以降この通信社は、各種公共団体の情報およびニュース解説機関として指導的役割を担った。1961年2月21日、ソビエト公共団体代表者会議は「ノーボスチ」の名称を冠した大衆向け報道機関を設置する旨の決定を下した。当時、同報道機関の最高指導部はその発起人が各ポストを占めた。
APNの発起人は、ソビエト社会主義共和国連邦ジャーナリスト連盟、作家同盟、友好・対外文化協会連盟、ならびに「ズナーニエ(知識)」と呼ばれていた有識者団体であった。
APNのモットーは「平和のため、および民族間の融和のための情報」であった。
APNは世界120ヶ国に支局を置き、60種類の新聞・雑誌を45もの言語で発行、その部数は430部であった。また、APNのソビエト対外友好文化協会は、新聞「Moscow News」を発行。1990年9月から同紙は独立した新聞社となった。
APN出版事業部では、200を超える書籍や冊子類を出版。その総発行部数は年間約2000万部であった。
1989年、APN内にテレビ放送センターが開設。後に同センターは、「TV-Novosti」テレビ放送会社となる。
1991年から、速報配信業務が開始される。
1991年8月22日付ロシア連邦大統領令により、ロシア・ノーボスチ通信社―Russian Information Agency "Novosti" (RIAN)は、報道・情報省の管轄下に移る。当時、ロシア・ノーボスチ通信社は、約80箇所の海外支局と通信局を置き、CIS諸国内だけでも1500社以上の速報配信購入者、ならびに100を数える海外の速報配信購入者数を誇っていた。
1996年、ロシア・ノーボスチ通信社のラジオ局である「RIA Radio」が放送を開始した。
1997年8月、ロシア・ノーボスチ通信社テレビ局をベースにして、国営電子媒体報道機関・生産テクノロジー企業統一複合体(メディア・ホールディングVGTRK)の前身団体により、「クリトゥーラ(文化)」テレビ放送局が設置された。
1998年5月、ロシア連邦大統領令「国営電子媒体報道機関の業務向上について」に基づいて、国営電子媒体報道機関・生産テクノロジー企業統一複合体(メディア・ホールディングVGTRK)が設立され、ロシア・ノーボスチ通信社も同複合体に加盟する。
1998年5月から「Vesti」の名称を使用し始めるが、報道機関としては「ロシア・ノーボスチ通信社」の名称を残す。
ロシア・ノーボスチ通信社の歴代社長は次の通りである。
1991年8月 〜 1992年1月 - ヴィノグラードフ=アンドレイ・ゲオールギエビッチ
1992年1月 〜 1993年8月 - マハラゼ=マイサラート・ナストルトジーノブナ
1993年9月 〜 1998年3月 - マルコフ=ウラジーミル・ニコラエビッチ
1998年5月 〜 1998年8月 - ギンジレーエフ=エドゥアルド・ライソビッチ
1998年8月 〜 2000年6月 - ヴォーリン=アレクセイ・コンスタンチーノビッチ
2000年6月 〜 2000年10月 - ジダコフ=アレクセイ・ウラジーミロビッチ(理事長代理を務める)
2000年10月 〜 2001年4月 - クリスチコフ=ウラジーミル・ミハイロビッチ、ロシア・ノーボスチ通信社理事長
2001年4月 〜 2003年1月 - ジダコフ=アレクセイ・ウラジーミロビッチ、ロシア・ノーボスチ通信社理事長
2003年1月 〜 現在 - ミロニューク=スベトラーナ・ワシリエブナ